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国際医学部|大学を知る
NUS の医学部(Yong Loo Lin School of Medicine)は1905年、地元の商人タン・ジャッキムが呼びかけて集めたお金で生まれた医学校です。のちにマラヤ大学の医学部になり、1962年にシンガポールとクアラルンプールに分かれました。シンガポールで最初で最大の医学部で、卒業生は12,000人を超えます。
| 項目 | 中身 |
|---|---|
| 始まり | 1905年7月3日、海峡植民地とマレー連合州の政府の医学校として生まれる。地元の商人で慈善家のタン・ジャッキムが寄付を呼びかけた |
| 今の名前 | 2005年、100年の年に、Yong Loo Lin 財団の寄付をたたえて「Yong Loo Lin School of Medicine」に |
| 立ち位置 | シンガポールで最初で最大の医学部。NUS でいちばん古い学びの場。卒業生は12,000人を超える |
| 課程 | 5年制の MBBS。医学・歯学・看護・薬学の学生が一緒に学ぶ共通の授業がある |
| 病院 | シンガポール国立大学病院(NUH)。2008年から大学の医療のまとまり(NUHS)の一員 |
| 順位(医学部の公式の頁) | THE の医学・保健 13位(2026)、QS の医学 18位(2025) |
| Tier(南数塾) | シンガポールは 1a=英語のまま、その国で医師になれる道がある国。ただし学費の補助を受けた外国籍の卒業生には6年の勤務義務がある |
医学部の公式の頁「History of NUS Medicine」から。
| 年 | 何があったか |
|---|---|
| 1905年 | セポイ・ラインズに医学校ができ、医学・外科・助産の5年の課程を始める |
| 1910年 | 最初の卒業生7人 |
| 1911年 | 2回目・3回目の卒業生に、女性が1人ずつ |
| 1913年 | エドワード7世の記念基金の寄付で「キング・エドワード7世医学校」に |
| 1918年 | リー・クアンユー(シンガポールの初代首相)のおば、リー・チューニオが卒業。シンガポールで診療した最初の女性の医師 |
| 1949年 | ラッフルズ・カレッジとひとつになり「マラヤ大学」に。医学校はその医学部に |
| 1959年 | マラヤ大学が、シンガポールとクアラルンプールの2つに分かれて動き始める |
| 1962年 | シンガポールの側が「シンガポール大学」に。クアラルンプールの側は「マラヤ大学」の名を受け継いだ |
| 1980年 | 南洋大学とひとつになり「シンガポール国立大学(NUS)」に |
| 1985年 | シンガポール国立大学病院(NUH)ができ、医学部の主な病院になる |
| 1999年 | 問題を解きながら学ぶ授業(PBL)を取り入れる |
| 2005年 | 100年。今の名「Yong Loo Lin School of Medicine」に |
| 2025年 | 120年 |
クアラルンプールのマラヤ大学と同じ根
医学部の公式の頁「About Us」から。
南数塾の読み方
1905年です。海峡植民地とマレー連合州の政府の医学校として始まり、マラヤ大学の医学部をへて、今の NUS の医学部になりました(医学部の公式の年表)。
はい。1949年にできた同じ「マラヤ大学」から、1962年にシンガポール側(シンガポール大学)とクアラルンプール側(マラヤ大学)に分かれました。
学費の補助を受けた場合は、研修医の1年のあと6年間、シンガポールの公的医療で働く義務があります。補助なしの学費を払えば、勤務義務のない道があります。
2026年10月30日時点の情報です。このページの内容は、2026年10月30日に下の公式の情報源と照らし合わせました。要件・学費・制度は変わることがあり、誤りがある場合もあります。出願の前に、必ず各大学・各国の公式サイトで正しい最新の情報を確かめてください。このページの情報だけをもとにした判断について、南数塾は責任を負いかねます。