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国際医学部|大学を知る
トリニティ・カレッジ・ダブリンは1592年、女王の勅許で生まれたアイルランドの大学です。医学部は1711年、最初の解剖学の建物とともに開きました。卒業生のウィリアム・キャンベルは、2015年、日本の大村智とともにノーベル生理学・医学賞を受けています。
| 項目 | 中身 |
|---|---|
| 創立 | 1592年、王の勅許で生まれた。ダブリン市が、もとの修道院の土地を用意した。ダブリン大学の、ただ1つのカレッジ |
| 医学部 | 1711年8月16日、最初の解剖学の建物が開き、医学部が正式に始まった |
| 医学の課程 | 5年制(MB BCh BAO)。定員 136(2026年)。卒業後に1年の研修医(intern)を終えて、医師として登録される |
| 教える病院 | セント・ジェームズ病院とタラ大学病院の2つが中心 |
| ノーベル賞(医学) | 卒業生のウィリアム・キャンベル。2015年、大村智とともに「回虫などの寄生虫による感染症の新しい治療法の発見」で受賞 |
| Tier(南数塾) | アイルランドは 1a=英語のまま、その国で医師になれる道がある国。ただし研修医の配属は、就労許可が要る人が最後 |
大学の公式の歴史の頁から。
| 時期 | 何があったか |
|---|---|
| 1592年 | 国がアイルランドの支配を強め、ダブリンが都として動き始めたころ。市民たちは、大学がアイルランドをヨーロッパの学びの流れに入れると考えた |
| 1689〜1691年 | 短い間のカトリックの政権が大学を閉じ、建物を兵舎にした。図書館は残された |
| 1712〜1732年 | 大きな図書館が建つ。哲学者バークリーが図書館長のころに始まった |
| 1793年 | カトリックの学生が入学し、学位を取れるようになる |
| 1873年 | 神学部をのぞき、宗教の条件をすべてなくした |
| 1904年 | 女子学生を初めて受け入れた。10年で学生の16%に |
| 1922年〜 | アイルランドの独立のあと、政府の支えが無く、研究のお金に苦しんだ |
| 1970年 | カトリックの教会による、この大学への入学の「禁止」が解かれ、学生が大きく増え始める |
| 2021年 | 初めての女性の学長(Provost)が選ばれた |
医学部の公式の頁「History of the School」から。
| 年 | 何があったか |
|---|---|
| 1711年 | 最初の医学部の建物が開く(いまのバークリー図書館の場所) |
| 1745年 | ロタンダ病院が開く。この島々で最初の、慈善の産科病院 |
| 1827年 | ロバート・グレーヴスが教授に。甲状腺の働きすぎ(甲状腺機能亢進症)の記述で知られ、大西洋の両側で臨床の教師として名を上げた |
| 1845年 | ウィリアム・ストークスが教授に。循環器の医学(心臓病学)を築いた一人とされる |
| 1870年 | 予防の医学の資格(Diploma of State Medicine)を作る。アイルランドと英国で最初 |
| 1904年 | 女性が医学を学ぶことを認めた |
| 1914〜1918年 | 第一次世界大戦で、医学部の卒業生60人が命を落とした |
| 1935年 | デニス・バーキットが卒業。のちに「バーキットリンパ腫」の研究で知られる |
| 1982年〜 | ウィアー教授らが、葉酸が二分脊椎などの先天異常を防ぐ働きを明らかにした |
| 1987年 | ピロリ菌を抗生物質で除くと十二指腸潰瘍がぶり返さないことを示した |
| 2011年 | 医学部の新しい本拠(Trinity Biomedical Sciences Institute)が開き、300年を祝った |
医学の課程の公式の頁から。
南数塾の読み方
1711年、最初の解剖学の建物が開いたときに正式に始まりました(医学部の公式の頁)。
5年制です。卒業後に1年の研修医(intern)を終えて、医師として登録されます。
応募はできますが、配属は就労許可が要らない人が先で、就労許可が要る人は最後の順番です。席は保証されていません。
2026年10月30日時点の情報です。このページの内容は、2026年10月30日に下の公式の情報源と照らし合わせました。要件・学費・制度は変わることがあり、誤りがある場合もあります。出願の前に、必ず各大学・各国の公式サイトで正しい最新の情報を確かめてください。このページの情報だけをもとにした判断について、南数塾は責任を負いかねます。