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国際医学部|大学を知る
セゲド大学の医学部は、アルベルト・セント=ジェルジの名前を持ちます。彼は1937年、セゲドでのビタミンCの研究でノーベル賞を受けました。2023年には、この大学で生物学を学んだカタリン・カリコーが、mRNA ワクチンの土台になった研究でノーベル賞を受けています。大学は、セント=ジェルジが使った部屋の鍵をカリコーに贈りました。
| 項目 | 中身 |
|---|---|
| 始まり | 大学はクルジュ(コロジュヴァール、いまのルーマニア)からセゲドへ移ってきた。1920年代、教育大臣クレーベルスベルクが「ハンガリーのゲッティンゲン」にしようとした |
| 医学部 | アルベルト・セント=ジェルジ医学部。臨床の建物はティサ川沿い、学びの建物はドーム広場に建てられた |
| 英語の医学の課程 | General Medicine(MD)。12学期(6年)・360単位。最初の2年が基礎、3年目から病院の診療科での実習、最後の2学期は診療科を回って医師の指導の下で患者さんを診る |
| 学費(2026/27 入学) | 1学期 €7,900(年 €15,800)。1学期目は授業料 €7,100+デポジット €800。出願料 €300(入試を含む) |
| ノーベル賞(医学) | 1937年 セント=ジェルジ(ビタミンC)、2023年 カリコー(mRNA の塩基の修飾)。どちらもノーベル財団の記録で所属にセゲド大学が入る |
| Tier(南数塾) | ハンガリーは 1b=英語で学べるが、その国で医師として働くには現地の言葉(ハンガリー語)が要る国 |
大学の公式の記事「Two Nobel Laureates, One University Room」(2026年10月)と NobelPrize.org から。
| 年 | 何があったか |
|---|---|
| 1920年代 | 大学がクルジュからセゲドへ移る。教育大臣クレーベルスベルクがドイツの大学町ゲッティンゲンを手本に、研究の町にしようとした |
| 1930年代初め | セント=ジェルジが、細胞の中で栄養を燃やしてエネルギーを取り出す仕組みと、彼が見つけたビタミンCの働きを研究する。研究所はドーム広場のアーケードの下、教会の塔が窓からのぞく建物にあった |
| 1937年 | セント=ジェルジがセゲド大学の所属でノーベル生理学・医学賞。ドーム広場の部屋からストックホルムへ向かい、金メダルを持って戻った |
| 1940〜41年 | 学長だったセント=ジェルジが、大学の本館に、セゲドで最初の学生の集まる場(クラブ)を作る |
| 1973年 | ハンガリー科学アカデミーの生物学研究センターがセゲドに開く。アメリカから来たセント=ジェルジは開所の場で「科学は人のためにあるべきだ」と話した |
| 2023年 | セゲドの大学で生物学を学び、研究センターの研究者から放射化学や核酸の生化学を教わったカリコーが、mRNA の塩基の修飾の発見でノーベル生理学・医学賞(ハンガリーの女性で最初)。大学はセント=ジェルジの部屋の鍵をカリコーに贈った |
カリコーが学生に贈った7つの言葉
南数塾の読み方
12学期(6年)・360単位です。最初の2年が基礎、3年目から病院の診療科での実習が増え、最後の2学期は診療科を回って医師の指導の下で患者さんを診ます。
1937年にセント=ジェルジがビタミンCの研究で、2023年にこの大学で生物学を学んだカリコーが mRNA ワクチンの土台の研究で、ノーベル生理学・医学賞を受けています。どちらもノーベル財団の記録で所属にセゲド大学が入ります。
2026年10月31日時点の情報です。このページの内容は、2026年10月31日に下の公式の情報源と照らし合わせました。要件・学費・制度は変わることがあり、誤りがある場合もあります。出願の前に、必ず各大学・各国の公式サイトで正しい最新の情報を確かめてください。このページの情報だけをもとにした判断について、南数塾は責任を負いかねます。