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国際医学部|大学を知る
マサリク大学は、1919年にブルノにできた大学です。名前は、チェコの2つ目の大学をモラヴィアに、と議会で訴えたマサリクから。メンデルが遺伝の法則を見つけた修道院のメンデル博物館も大学の一部です。英語の医学の課程では、1〜4年の8学期すべてでチェコ語が必修で、4年目には「英語を話す医師や通訳の助けなしに、チェコ語で患者さんと話し、ひとりで病歴を聞ける」ことを目指します。
| 項目 | 中身 |
|---|---|
| 始まり | 1919年1月28日、議会が満場一致でブルノの大学を作る法律を可決。最初の4つの学部の1つが医学部 |
| 英語の医学の課程 | General Medicine(MUDr.)。6年制。最初の2年は生物・生物物理・化学と生化学・解剖・組織・生理の基礎 |
| チェコ語 | 1〜4年の8学期すべてで「外国人のためのチェコ語」が必修(合わせて270時間。4学期目と8学期目は試験) |
| 臨床の場 | ブルノ大学病院、聖アンナ大学病院、マサリク記念がん研究所など。病院に出る前に、医学部の模擬の実習センター SIMU で手技・チームワーク・伝え方を練習する |
| 学費 | 年 380,000 CZK(2027/28・2回払い可) |
| Tier(南数塾) | チェコは 1b=チェコ語を身に付ければ、チェコで医師になれる国 |
大学の公式の頁「Historical timeline」から。
| 年 | 何があったか |
|---|---|
| 1891年 | マサリクが、ウィーンの帝国議会でモラヴィアに2つ目のチェコの大学を作るよう訴える。20年後にはブルノの大学を求める請願を出す |
| 1919年 | 大学を作る法律が満場一致で可決。法学・医学・理学・文学の4学部で始まる |
| 1925年 | 作曲家ヤナーチェクが最初の名誉博士に。ブルノのチェコの大学を求める運動にささげたソナタ「1905年10月1日」などがたたえられた |
| 1939年 | 11月17日、ナチスの占領で大学が閉じられ、6年間閉鎖。処刑や拷問で多くの教授を失い、理学部だけで教員の4分の1を失った |
| 1948年 | 共産党の政権のもとで教授と学生の追放 |
| 1960年 | 大学は名前を奪われ、1989年まで「ヤン・エヴァンゲリスタ・プルキニェ大学」と呼ばれる |
| 1989年 | もとの名前に戻る。大学は「自由と独立の象徴」と書いている |
| 2007年 | メンデル博物館が大学の一部になる |
メンデル博物館は、ブルノの旧市街のアウグスティノ会の修道院にあります。メンデルがここでエンドウ豆の実験をし、遺伝の法則を導いた「遺伝学が生まれた場所」です。
大学の学習計画と、チェコ語の授業の頁から。
| 時期 | 何を学ぶか |
|---|---|
| 1〜2年目 | 外国人のためのチェコ語 I〜IV(1学期 45〜30時間)。2年目の終わりに試験。1年目には医の倫理の授業もある |
| 3年目 | チェコ語 V・VI。家族・本人・暮らし・仕事の病歴を聞く言葉、診察と循環器の言葉。医師と患者さん、医師どうし、看護師との会話で医学の言葉を使う |
| 4年目 | チェコ語 VII・VIII。目標は「英語を話す医師や通訳の助けなしに、チェコ語で患者さんと話し、ひとりで病歴を聞ける」こと。泌尿器・外科・眼科・耳鼻科・整形外科の話題を発表し、話し合いに加わる。4年目の終わりに試験 |
南数塾の読み方
必修です。1〜4年の8学期すべてで「外国人のためのチェコ語」を学び、合わせて270時間、2年目と4年目の終わりに試験があります。4年目には、通訳なしで患者さんと話し、ひとりで病歴を聞けることを目指します。
マサリク大学は、A-Level で化学 A・生物 A・物理 B、IB で35点以上・HL の生物と化学と物理の計が19点以上なら、筆記を免除します。チェコの英語の医学部でこの免除があるのはマサリク大学だけです。
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