2026年10月30日時点の情報です。内容の正確さに努めていますが、変更や誤りがある場合があります。正しい最新の情報は、必ず公式サイトで確認してください。
国際医学部|大学を知る
ハイデルベルク大学は1386年創立、ドイツでいちばん古い大学です。医学部はハイデルベルクとマンハイムの2つあり、どちらも同じ大学の医学部ですが、カリキュラムも大学病院も別です。
| 項目 | 中身 |
|---|---|
| 創立 | 1386年(ドイツでいちばん古い大学)。プファルツ選帝侯ルプレヒト1世が、ローマ教皇の許しを得て創立。別名 Ruperto Carola |
| 学生 | 32,178人(うち留学生 6,633人) |
| 医学部 | 2つ:ハイデルベルク医学部(Medizinische Fakultät Heidelberg)とマンハイム医学部(Medizinische Fakultät Mannheim) |
| ノーベル賞 | 大学か町につながりのある受賞者は56人(大学の公式の数え方) |
| ドイツでの立ち位置 | QS 分野別ランキング 2026(医学)34位=ドイツではシャリテ(18位)に次いで2番目。国の「卓越大学(University of Excellence)」に2007年から選ばれている |
| Tier(南数塾) | ドイツは 1b=ドイツ語を身に付ければ、ドイツで医師になれる国 |
マンハイム医学部は、大学の公式の頁で「ハイデルベルク大学の2つの独立した医学部の1つ」と書かれています。
| ハイデルベルク医学部 | マンハイム医学部 | |
|---|---|---|
| 場所 | ハイデルベルク(病院と研究所はノイエンハイマー・フェルトに集まる) | マンハイム |
| カリキュラム | HeiCuMed(ハイデルベルク医学カリキュラム・2001年から) | MaReCuM(マンハイム改革カリキュラム)による「モデル課程(Modellstudiengang)」 |
| 大学病院 | ハイデルベルク大学病院 | マンハイム大学病院(市の病院)。病院と医学部が1つの運営の会議で対等に組む「マンハイム大学医学(UMM)」 |
| 特色 | 臨床の前の学び(解剖など)を組み合わせて教える | 学びの病院 TheSiMa と、模擬患者のプログラムで、話す力と手技を練習する |
同じ大学の医学部でも、学ぶ町・病院・カリキュラムが違います。出願のときは、どちらの医学部の課程かを確かめてください。
ハイデルベルクで学ぶことは、ドイツの言葉と医療の中で医師になることです。英語だけで済む道はありません。
南数塾の考え
640年の間に、2度の黄金期と、戦争での破壊、ナチスの時代を経ています。大学の公式の年表から。
| 時期 | 何があったか |
|---|---|
| 1386年 創立 | プファルツ選帝侯ルプレヒト1世が、教皇の許しを得て創立。初代学長はパリ大学から来たマルシリウス・フォン・インゲン、最初の教授たちはパリとプラハから |
| 1556〜1617年 第一の黄金期 | 改革派(プロテスタント)の大学に変わり、ヨーロッパの学問と文化の中心に。1518年にルターがここで公開の討論をし、1563年に『ハイデルベルク信仰問答』が書かれた |
| 1618〜1703年 戦争と破壊 | 三十年戦争で授業が何度も止まり、1623年には中世の写本の宝庫「パラティーナ文庫」が戦争の賠償としてローマへ運ばれた。1688〜97年にはルイ14世の軍が町を壊し、大学は1703年まで閉じた |
| 1803〜1900年 第二の黄金期 | バーデンの国立の大学として立て直し、創立者ルプレヒトとバーデン大公カール・フリードリヒの名を合わせて「Ruperto Carola」に。国際的でリベラルな大学として、ブンゼン・キルヒホフ・ヘルムホルツらの自然科学が頂点を迎えた |
| 1900〜1923年 女性に開く | 1900年に最初の女子学生が登録し、1923年に最初の女性の教授が生まれた |
| 1933〜1945年 ナチスの時代 | 214人の研究者のうち59人が人種・政治の理由で追われた。新校舎の入口の「Dem lebendigen Geist(生きている精神に)」の文字とアテナ像が外され、「Dem deutschen Geist(ドイツの精神に)」と鷲に替えられた |
| 1946〜1974年 再開と大衆化 | 戦後最初の学長は外科医カール・ハインリヒ・バウアー。旧市街・ベルクハイム(医学)・ノイエンハイマー・フェルト(自然科学・医学)の3つのキャンパスに広がり、学生運動の時代を経て学部を組み直した |
| 1975年〜 国際化と「卓越大学」 | 海外に4つの拠点(南アジア・北米・中南米・日本)。国の卓越大学に選ばれ続け、2019年からはドイツの10の「卓越大学」の1つ。合言葉は「Zukunft. Seit 1386(未来。1386年から)」 |
社会への責任を、歴史ごと書く
大学の公式の一覧(大学に所属した受賞者)から、医学(生理学・医学)賞の4人と、医学に近い化学賞の受賞者を選びました。
| 年 | 人 | 賞 | 何をしたか(大学の頁の説明) |
|---|---|---|---|
| 1910 | アルブレヒト・コッセル | 医学 | たんぱく質、とくに核酸の研究。生物の仕組みを有機化学の方法で調べた最初の1人。生理学の教授(1901〜1923) |
| 1922 | オットー・マイヤーホフ | 医学 | 生体の中でエネルギーを生む反応の流れの発見。1935年に人種の理由で教えることを禁じられ、のちに米国へ |
| 1991 | ベルト・ザクマン | 医学 | 細胞の1つ1つのイオンチャネルの働きを調べる新しい方法(エルヴィン・ネーアーと共同) |
| 2008 | ハラルト・ツア・ハウゼン | 医学 | ヒトパピローマウイルス(HPV)の感染と子宮頸がんのつながり。ドイツがん研究センター(ハイデルベルク)の所長、医学部の名誉教授 |
| 2014 | シュテファン・ヘル | 化学 | 超高解像度の蛍光顕微鏡の開発。ドイツがん研究センターの部門長 |
ハイデルベルクには、ドイツがん研究センター(DKFZ)や、マックス・プランク医学研究所が大学のそばにあり、受賞者の多くが大学とこれらの研究所の両方で働いていました。
英語で学びたいなら
あります。ハイデルベルク医学部とマンハイム医学部で、どちらもハイデルベルク大学の医学部です。カリキュラム(HeiCuMed と MaReCuM)も大学病院も別です。
大学の公式の一覧では、コッセル(1910年)、マイヤーホフ(1922年)、ザクマン(1991年)、ツア・ハウゼン(2008年)の4人が医学賞です。
2026年10月30日時点の情報です。このページの内容は、2026年10月30日に下の公式の情報源と照らし合わせました。要件・学費・制度は変わることがあり、誤りがある場合もあります。出願の前に、必ず各大学・各国の公式サイトで正しい最新の情報を確かめてください。このページの情報だけをもとにした判断について、南数塾は責任を負いかねます。